「ろじぱらに物申す」〜グロテスクなハッピー〜
今さら言及するまでもなく、テキストサイト界に君臨する帝王。
あまたの文字漂うテキスト海を悠々と泳ぐ大王イカ。すこし例えに失敗した。
適者生存の原理に乗っ取れば、すでに消滅したあらゆるサイトより
「優れている」とされる、恐らくは空前絶後のサイト。
「ろじぱら」。
他の追随を許さぬカリスマに物申す事は、朕のごときヘタレにはかなりの覚悟が必要であった。
現在までにろじぱらに物申したサイトがあったかどうか朕は知らぬ。
知ってたらぜひ教えて欲しい。
朕個人はワタナベ殿に恩がある。
朕の前々のエロテキストサイトはろじぱらの代打日記で賞を取り、その時の瞬間最大風速は約2000ヒット/日。
その後は約700ヒット/日で落ち着いて管理局の怒りを買ってデリられるまでこんな感じであった。
客をこんなにも流してくれたワタナベ殿には今でも多大な感謝をしており、今後もこの気持は変わらない。
では、恩こそあれ恨みなど断じて無いろじぱらに朕は何を申したいのか。
実は前々から漠然とした思いは抱いていたが、2002年1月17日の同サイトの日記でそれがある種の確信になった。
偽善サイトにアヤをつけるのはさして困難ではない。
自分が泥をかぶる覚悟ができていればそれだけで充分であるから。
だがろじぱらのようなつけいる隙の無い「善」サイトに難癖をつける事は、
百害あって一利無い、現行サイトとしては自殺行為と言える。
だがやるぞ。言わねばならん。
「ろじぱらは、現在のテキストサイト界にある種の悪影響を及ぼした」
あーああ言っちゃったよどうすんだよ。もう引っ込みつかねえよ。まあいい。
正確には、「テキストサイト界に」ではなく「テキストサイト管理人に」である。
まあニアイコールのニュアンスである。
その「悪影響」とは何か。
まあ聞け。
よくヤリ玉に上げられる「侍魂劣化コピー」大量増加現象。
しかし朕に言わせれば、この現象は「表層だけ、外見だけ、手法的なものだけ」の影響であるので、
さほど問題は深く無い。ただ、「あの手法なら俺でも簡単に自己表現ができる」、
と多くの管理人に思わせてしまった、と捉えるなら、「内面的にも影響している」と確かに言える。
が、どちらにしてもそれほど根深い問題ではない。
「ろじぱらの悪影響」はそんな生易しいものではなく、決して目に見えないので、
今まで朕も自分自身がその影響下にあることに全く気づかなかった。これが怖い。
さて核心に触れる前に、せっかくここで出てきたので、現行テキストサイトの
「大手サイトの影響下別」、所謂「なになに系」の分類を改めて朕の独断と偏見でやってみたい。
そうすることで「何か」が見えてくるかもしれんし、見えないかもしれんが。
1群
「侍魂系日々の生活から無理矢理お笑いネタほじくりサイト」
すでに述べているが、やはり侍魂の強い影響下にあるこの群のサイトは依然として多い。
猫殿が以前、「現行テキストサイトの9割はカス」と言い放って波紋を呼んだ。
朕はどのようなサイトをもってして猫殿が「カス」と言ったのか、正直なところまだ飲み込めていない。
だが、朕に言わせればこの群に属する決して少なくない数のサイトが、
「テキストサイト」の体裁すら持ち合わせていないと強く感じている。所謂「論外」。「テキストサイトもどき」。
だから、それまで含めて「現行テキストサイトの9割はカス」と言ってしまって本当に良いのかどうか、疑問が残る。
フォントいじりやこの周辺の問題について朕は一家言あるのだが、それは別にまたいつか述べる。
2群
「斬鉄剣系うっとりポエミーサイト」
これらのサイトは、大ボスが大ボスであるだけにある種の御仁らに「オナニーサイト」として酷評される。
ナミ殿が発表した「テキストサイト界に求められているモノ」というサイト論は、
この群のサイトのまさしく根幹をなすものであり、そういった意味でナミ殿には矛盾が全く無い。
実は朕はポエミー系、意味不明のコト垂れ流し系は決して嫌いではない。むしろ好き。
だがしかし、である。朕に言わせれば「非常に危ない橋を渡っているサイト」である。
自己陶酔うっとり型サイトは、管理人の「キャラ」に全生命がかかっているからである。
一切のごまかしのきかない、「天国か地獄」サイトなのである。この意味がわかるか。
想像してみて欲しい。貴殿の目の前に、一心不乱に自慰行為にふける異性がおるとする。
その異性が貴殿にとって「好み」、すなわち魅力的であったなら、
「ああ美しいお方。そんな自慰行為などなさるぐらいなら、私とまぐわいましょう。」
となるだろう。これがうっとりポエミー系サイトの「成功」である。
ところがもしその異性が不細工だったら、殴り倒しておしまいである。
まぐわっているサイトと殴り倒されているサイト、どちらが多いかはあえて言及しない。
3群
「POPOI系私生活および過去暴露サイト」
朕は知識不足で、ぽぽい以前のこの手のサイトでメジャーなところを知らない。
ただ単にリドミ参考の規模で、ここを一応の「ボス」としているだけである。他意は無い。
さらにややこしいのは、2群とかぶっているサイトも実に多い点である。
侍魂つながりで強烈にブレイクした(と朕は思っている)ぽぽいであるが、本人も言っているとおり、
やっぱり内容と規模が一致しているとは言い難いであろう。
「私生活および過去暴露」とは言っているが、要は「日記」である。
「個人の単なる日記」を全世界に公開する必要があるか、という問題については朕は一家言持っているが、
またいつか別に述べることにする。
こっから先は、朕のいやらしさ爆発の意見になるので、不愉快になったらすまぬ。
朕はテキストサイト人口の男女比についての具体的な数字はわからないが、やはり現在は、
「女性の私生活および過去暴露日記」は非常に需要が高いと思っている。
一言で言うなら、これらのサイトは「女性の一人暮らしの部屋を覗き見できる」サイトである。
風俗にて「のぞき部屋」なるものがあるが(朕は行った事ないぞ)、アレは金を払って痴態を見せてもらうのに対し、
なんとこちらはむこうから進んで見せてくれるのである。
「着替えだけ」まで見せてくれるサイトも多いが、少なくない数のサイトが、
女性が自らがセックスしているところを進んで全世界に見せてくれるのである(過去の性遍歴を語ってくれる)。
これはすごい事なのである。実際に現世の女性の部屋を覗いたら即ブタ箱行きであるが、
ネット上で「合法的に」ある一人の女性の人生、それも現世では公開することが難しい「性に関する事柄」が、
管理人と読者というお互い安全な立場から知ることができるのである。
ちなみに朕の旧サイトはこの男性版であった。需要があったかどうかはイマイチわからなかったが、
展望が見えなくなったので見切りをつけた。
4群
「情報・ニュース系サイト」
この群のサイトは朕にとって鬼門である。あんま見ないし。決して嫌いではないが。
朕のつたない知識によれば、故ムーノーローカルがこの手のサイトのカリスマではないか。
おおまかに分類すれば、たいていの現行テキストサイトはこの4つのどこかに含まれるのではないか。
「純粋なネタ日記」、「ごく普通の日記」、「小説サイト」など分類に困るサイトも勿論たくさんあるが、
それらは数としてはこの4群の比ではない(と思った)ので、まとめて「その他」とこの場合はさせて頂く。
さてさて、これらの「分類」は、あくまでも「見りゃわかる」サイトの傾向である。
朕が言う「ろじぱらの悪影響」とは、このような「目に見える」群を形成したりするものでは決して無い。
これからが核心であるぞ。よく聞け。
以下に述べる事が、ろじぱらが世に放ってしまった悪影響の正体である。
「ろじぱらは、個人運営のテキストサイトがお手軽な自己実現の場であると多くの人間にカン違いさせてしまった」
おい、と思った御仁が多いであろう。
ほとんどの管理人らが上記のような理由で叩いていたのは侍魂の方であった。
だが朕はこれに関して少し違う意見を持っている。
さっきも述べたが、侍魂は「オチなどでの極端なフォントいじり」、「間を取るための極端な行間あけ」で、
視覚的、表現手法的にインパクトがあったため、それらを模倣しただけの中身の無いサイトが乱立した。
これら「侍魂劣化コピーサイト」は、表面的部分のみを自己表現の手段として無理矢理に自分につぎ当てたため、
結果的にサイトの目的であった自己表現に失敗する、という本末転倒の状況に陥った。
ちょっとわかりにくいな。もう一度言い方を変えてみる。
自己表現とは(あくまで朕個人の見解であるが)、「他者と比しての己の独自性」を発揮する事であると思う。
それなのに、「あ、それならボクにでもできる」と「目立ちそう」という理由だけで、
何の考えも無しに赤の他人のサイトの表現方法だけ取り入れてしまった管理人は、
独自性としての自己表現をハナから放棄したも同然だったのである。
彼らのサイト開設の動機は間違い無く「自己表現」であったのに、結果はこのていたらく。
どうしてこんなことになってしまったのか。
かなり厳しい言い方をするが、
「彼らには表現したい自己はあったが、実現したいほどの自己は無かった」
と朕は思っている。
朕は本文章で「自己表現」と「自己実現」とを区別してワザと使っているが、
専門書でキチンと勉強したわけでもないので、もしかしたら全くもって大間違いな可能性がある。
しかし他に適切な単語が思い浮かばなかったので、朕よりこういう事に詳しい御仁は、
よりふさわしいと思われる単語をあてはめて読んでもらいたい。それだけの事である。
だって何冊かの文献読んだらそのつど全然違うこと書いてんだもーん。もういいや、って感じ。
「自己表現」と「自己実現」の違い。
自己表現とは、自己実現のための一手段でしかないと朕は理解している。
イコールどころか、「目的のための一手段」と「最終目的」ほどの差がある言葉である。
「目立つ、面白いサイトを作り自分という人間を広く知ってもらう」ことが自己表現なら、
そのサイトの運営を通して、さらに自分の内面に磨きをかけたり、
他者との切磋琢磨の中で己自身の現世以外でのさらなる活躍の場を求めることが自己実現である。(例えば。)
そういう意味で、「サルまねをした管理人には、実現したい自己など無かった」と言ったのだ。
本当に自己実現をしたいと思っている人間が、そんな迂闊なサイト運営などするとは到底思えないからである。
だから、正確には
「侍魂は、個人運営のテキストサイトがお手軽な自己表現の場であると多くの人間にカン違いさせてしまった」
となるべきではないか、と思っている。
自己実現へ至るまでの、一手段においてのみの「悪影響」を振りまいてしまったのだから、
侍魂の罪状はろじぱらより遥かに軽い、と朕は思っている。
ろじぱらのワタナベ殿が振りまいてしまった悪影響を受けたサイトは、
2001年に開設したところが多いと思う。朕のサイトも例外では無い。
侍魂からの波及効果でどんどん元々「大手」だったろじぱらのアクセスが増えた時期である。
この頃のワタナベ殿の態度に何か問題があったか。
全く無かった。だがそれこそがいけなかったのだ。
ろじぱらのワタナベ殿は3年選手、テキストサイト界では最早長老クラス。
個人サイトで3年選手と言えば、ある種の神がかり的な才能と強靭な精神力が要求されると朕は思う。
それにも関わらずそんな事はおくびにも出さず、サイト上では相変わらずのお笑い日記。
ワタナベ殿という方は、自分の努力や才能の片鱗というのをなるべく他者に見せまいとする、
非常に「できた」人間なのだ。
つまらない、何の参考にもなりはしない「苦労話」を人に聞かせようとする人間が多い中、
ワタナベ殿は実にスマートに、「努力や苦労の過程」は見せず、その「仕上がった結果」だけをポコッと提示する。
そのワタナベ殿の「できた人間性」が、現在のテキストサイト界に逆に悪影響を及ぼしてしまったのだ。
朕はワタナベ殿にどうすればよかったと言いたいのか。
それは、
「侍魂が起爆剤になってテキストサイト界が飛躍的な拡大」を遂げようとしていた時、
自らが重鎮であることを正しく認識し、これから雨後のタケノコのごとく現れるであろうプチ管理人に対し、
(予想できなかった、などとは言わせない)
「嫌われクソじじい役に徹して」、ことごとくこうクギを刺してやればよかったのである。
「個人テキストサイト運営はあんたらが思ってるほど楽じゃないよ」、と。
グチグチ過去の苦労話を聞かせるのも良かっただろう。とにかくなんでもいい。
もっと泥臭く、「サイトをやってゆくこと」の悲哀、薀蓄を朕のような新米どもにたれて欲しかった。
スクール水着など着ている場合ではなかったのである。
それなのに、あいもかわらずサワヤカにさらっと流すような更新の毎日。
だがしかしそれはあくまでも「表面的に見た場合」。
実際に、毎日「なにがしかの笑い」を含むテキストを長期に渡って書き続けるのはハンパな才能と努力では不可能である。
(そういう意味で、九十九式の宮本殿もとんでもない偉業を成し遂げた。)
それを朕自身も気づくのが遅かったし、いや正確にはわかっていたのだが、どうしても認めたくなかったのだ。
やっぱり人間どうしの「力の差」というのは歴然としてあるのだ、という事である。
埋められない差、というのは確実に存在するのである。
「努力等の泥臭さ」を一切読者に感じさせず、淡々と更新を続ける怪物サイト「ろじぱら」。
その、一見「力の抜けた、お気楽なサイト運営」(あくまでも表面的には、であるぞ。)
を見た、朕も含めた多くの新米は、
「なーんだ、テキストサイトってカンタンでお手軽で、楽しそうじゃん。」
と思ってしまったのではないか。
これは大変な誤解であり、ろじぱらの現在の「ハッピーな状況」は、
ワタナベ殿が気の遠くなるような長い長い時間苦労し、己の才能と努力を総動員して築き上げてきた、
強固な地盤の上に乗っかっている「優勝トロフィーそのもの」であると言って良い。
ところが、朕も含めた新米の多くはその「ハッピーな状況」だけを見て、
それに至るまでの地道な過程を一気にすっ飛ばして「テキストサイトはこんなもんだ」と思ってしまった。
どんな個人サイトにも立ち上げと閉鎖(ろじぱらがどんな大団円を迎えるか想像もつかないが)があるが、
朕たちは幸か不幸かろじぱらの絶頂期をいきなり最初に見てしまった。
その結果どうなったか。
本当はその身をもってキチンと「エンターテイメントとしてのテキストサイト運営のあり方」を提示してくれている
ワタナベ殿の姿勢から正しく学ばなかった管理人らの作ったモノは、
ワタナベ殿の「ハッピーな状況だけ」を切り取って貼りあわせただけの、異形のサイトであった。
苦労と恥と迷いにまみれた「かけだしと下積み」の期間があってこその意味をもつ
「ハッピーな状況」なのであり、それらを完全にすっ飛ばして構築したテキストサイトは、
はじまりからいきなり「ハッピー」、
途中も「ハッピー」、
最後も「ハッピー」、
最初から最後までハッピー、「ハッピーエンド」という完結すら許されない、ただひたすら脳天気なまさしく
「グロテクスクなハッピー」サイトである。
これらのサイトやその管理人には「自己満足」(朕に言わせればそれすら危うい)しかなく、
そしてそれはエンターテイメントの精神には程遠いものである。
だからこそ、ワタナベ殿がろじぱらで
「最近の潮流として、多くのサイトの姿勢が自己満足へシフトしてきた」
「最近の管理人は他人の評価を気にしすぎる。もっと芯を持て」
などと仰ると、なおのことガクッとくるのだ。
そりゃ貴殿の責任でもあるんですよ、と。
また、ワタナベ殿の真意はわからぬが、過去ログを閲覧できないのも残念である。
ろじぱらが10ヒット/日の頃の日記を見たい。そこから学べることがあるのではないか。
それが無理でも、もうちょっと朕たち新米に何かビシッと言って欲しい。
以上、長い間のご静聴、痛み入る。